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アメリカ紀行


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#3:アメリカの孤独 ロサンゼルス



 高いパルムの並木を抜けて、三十分も行けばオフィス街に出る。いかにもカリフォルニアらしい初夏の日に、街の公園に出かけることにしたのだがK氏が車で送るというのを断わって歩いたので、ビル街にある広い公園の木々を見かけた時には、いささかくたびれてきた。それで、空気の汚れをそのまま付着させたようなくすんだ緑も気にせずに、公園に入る瞬間に感じる快い神経の弛緩を覚えながら、ゆっくり歩を踏み入れ、芝生に寝ころんで疲れをとろうかなどと考えていた。

 しかし、そこで目にしたものは、それまで私の抱いていた公園のイメージとは全く異なった光景で、言いようもなく寂しいものであった。不意をうたれたような気持ちとでも言おうか。

 おびただしい数の老人たちが
(五百人は越していたろう)そこかしこにたむろしていた。いや、残酷な表現であるということを承知で、正直な感想を書くならば、群れをなしていたと言ってもいい。私にはそのように感じられた。アメリカやヨーロッパの老人たちについて、知識がなかったわけではない。彼等の余生について、新聞や雑誌で読んだこともあったのだが、実際にその姿をつきつけられると、動揺を禁じ得なかった。こんなものだったのかという思いは、書かれた物から読み取ることはできなかったし、そのことによって、自分の想像力の貧困さを思い知らされた。

 これは一体何であろうか。この人たちは、アメリカ文明といわれるものの何を物語っているのだろうか。私が憂うつな思考に落ち入りかけたとき、突然ホッとするようなバイオリンの音が聞こえて、私の想いを断ち切ってくれた。ユーモレスクの美しいメロディーをたぐり寄せるように、ゆっくりその方へ歩いていった。

 木陰のベンチや芝生に腰かけた十五人ぐらいのグループで、男が一人バイオリンをひいている。時々あごをはずして、隣の男に何か語りかけている。よく通るドイツ語で、ドイツ系移民だと知られる。

 その老人の才能が非凡であったろうことは、素人離れのした音色や手つきが示しているだろう。おそらく若いころには、オーケストラの第一バイオリンで演奏することを夢見ていたに違いない。だが、ドイツはどん底の不況だった。音楽を続けるには金がなかった。アメリカに渡り金を作ろうと考えたのがいけなかったのかもしれない。バイオリンを持つ手がツルハシを握り、やがて女ができ、子どもが生まれ、生活を守らなければならなくなった。景気のよさそうな都市を転々とし、ついにはロサンゼルスに住みついた。そしていつかバイオリンを忘れてしまっていた。

 子どもたちは独立して遠くへ去り、妻も死んで再び一人になったときには、もう年老いていた。今では、天気のいい日には公園に来て、話仲間の連中と一緒に時間を過ごし、昔のことや、あっけなく過ぎ去った人生のことなど思い出しながら、バイオリンをひくのが楽しみだ。

 曲がトロイメライに変わったとき、老人と子どもの「夢」とのとり合わせにふと笑いがこみ上げてきた。決して皮肉な思いだったのではなくて、あるほのぼのとした感情に誘われて笑いかけたのだが、まわりの老人たちのひょうじょうに目をやったとたんにそれは消え、ひきつるような頬の感覚が残っただけであった。

 私はもう一刻も早く出て行こうと出口へ急いだ。

 海水パンツ
1枚になって、冬の間苦しめられた神経痛の細い足を、一生懸命日に当てている老人たち、一人でアイスクリームをなめている女の人、喜怒哀楽の表現方法をとっくに忘れてしまって、表情を失ったままでチェスをしている幾十人の人々、純粋に身体を動かす必要のみでゲームを続けている男たち。

 彼等は、余生を送るだけの金には困らないだろう。アメリカの経済力はその程度の保障は可能なはずである。だから、日本の老人によくあるような、屈辱感に耐えながら他人の世話になるということはないかもしれない。だが、これが人生の終着駅だとしたら、あまりにも寂しい。

 日本の老いた人々はどうだったろうか。みんなどのように暮らしていただろうか。私は、日本の老人たちを見ていなかった自分に気が付いた。

 戦後の技術革新に伴う産業構造の変化は、当然に日本の家族構成に影響を与えているはずであり、我々の心理に深く入りこんでいるはずだ。大量消費の文明は、必然的に人間の大量消費として現われてくるだろう。私がいま、目前にしている老人たちは、大量に消費された人間そのものではないのか。そして、まもなくわれわれも一つの文明の結果として、われわれ自身の姿を晒すことになるのだろうか。いや、その時代はもう来ているのかもしれない。

 ある朝、安ホテルの一室で、冷たくなっている死体を誰かが発見する。その死体が私だったとして、私は安らかな表情を浮かべているだろうか。「アメリカの孤独」は日本人のわれわれにも時代の刻印となるだろうか。学校帰りの少女が二人、真っ赤なリンゴをかじりながらはずむように過ぎていった。初夏の風に軽やかになびくブロンドを、私は老人のような目でながめていた。
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