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アメリカ紀行


america08

#8 南部の町で/ジョージア



 道の両側からおおいかぶさるように枝を張った並木が、そろそろかすれた葉ずれの音をたて始めると、秋の近さを思わせる。これから南米をまわり、ヨーロッパに着くころには冬になるかもしれない。寒さが厳しくならないうちにヨーロッパを出なければ、無銭旅行に近い私は、名も知らぬ町で行き倒れになるかもしれぬ。あせりに似た気持ちで、ワシントンを去ることにした。

 もともと今度の旅には、計画らしきものはなかった。汽車の時刻表といえば最もきらいなものの一つで、東京から帰省するとき、急行を逃して新幹線で追っかけたこともあるのだが、こういう類の者には、出発前の計画はあまり役立たないだろう。だから当初の計画は、「地球は球体をなしているのだから、ある方向へ進んで行けばいずれ出発点に帰り着く」という簡明な事実、すなわちわれらの偉大なる先輩コロンブス氏が、実践的に証明しようとした真理に基づいて、臨機応変に行動しながら東へ進み、一年ぐらいで帰ってこようという程度のものでしかなかった。途中で、アメリカをインドと間違えるような失敗さえしなければいいのだ。

 どんなに緻密な予定を組んでも、どうせその通りになるわけはない。自分の過去をちょっと振り返ってみれば、一目瞭然ではないか。幼少のころ、「一日の計画表」を机の前に貼りつけても、ついぞ実行したことはなかったし、長じて「読書計画」なるものをものしても、おのれのふがいなさを嘆く原因になるだけであった。要するに、私の計画能力は、実行能力を遠くへ置き去りにしたまま自己展開していくわけだから、でき上がった計画があてにならぬことおびただしい。初めからそれなしでいたほうが、実行能力に絶望しないだけましである。

 それにしても、厳冬の北欧と聞いただけで身ぶるいが出るほどだから、これだけは避ける必要があるという「計画」は立てていた。

 九月も末になって、私はワシントンを去ることにした。アメリカ南部には関心を抱いていたので、深南部
(Deep South)のジョージア、アラバマ、ミシシッピーにはぜひ行きたかった。大都市には、もちろん下車するつもりであったが、小さな町もいくつか歩いてみたいと思っていた。南部の農業地帯の様子を知るには大都市では都合が悪い。車のない旅行者にとって、街の外の農場まで出るのは無理である。だから、街の半径の小さなところを選んで途中下車することにした。

 アトランタ(ジョージア)の街をまわり終わってバスに乗ろうとしたとき、切符を落としてしまったことに気がついた。ワシントンから南部経由でロサンゼルスまでの切符は、数枚の綴りになっていて、下車するごとに運転手が一枚ずつ破っていくようになっているが、テキサスからロスまでの分を残して、あとはなくなっていた。ポケットの金を出し入れする際に、ちぎれ落ちたにちがいない。

 一瞬、もう十何年も昔に、わが家に飾られてあった掛け軸の文句を思い出して腹立たしかった。「事あるときに泰然」。私はどちらかというと軽薄に近いほうで、東洋的処世訓には縁遠く、「六然」とか「六論」などという言葉を聞いても、なにか倫理的圧迫感のようなものを覚えてしまう。そのためか、東洋的価値の人格的表現のような西郷隆盛には親しみを感じない。

 そのときの私は、泰然どころではなく、愕然から茫然、やがて消然となった。失った分の切符を買いなおすには四十ドルはかかる。夜はバスで寝るのだから、四十ドルもあれば、物価の高いアメリカ旅行でも二週間は生きていけるのではないか。

 やっと気を取り直して、長距離トラックに乗せてもらうことを思いつき、発着所を捜すことにした。最近、ヒッチ・ハイクの殺人が相次ぎ、州によってはヒッチを法律で禁じているところもあるほどで、私の試みがうまく行くとは思わなかったが、断られてもともと、成功すればもうけものという卑しい根性で交渉したら、親切なドライバーが拾ってくれた。もっともその車もアトランタから二時間行ったところが終点であった。テキサスまでの長さを思うとわずかの前進でしかない。それでも救われたような気がした。

 二時間もたって、まだ途方に暮れていたわけではない。ラ・グランジというフランス風の名前の町でおろされたときには、もういつもの気分にかえっていた。晴れわたったきれいな空は爽快そのものであったし、町のところどころで教会の赤い屋根が並み木の緑と調和して、美しい風景を作っていた。それに、南部の小さな町を見るつもりの私には、この町は最適であろう。

 中央広場のベンチに腰をかけて、コッペパンとコーラの昼食をとりながら(もう三日も同じ献立であった)、先のことをくよくよ考えないことにした。親切な運転手は、また見つかるだろう。車のことばかり心配していたら、どこもみてまわれないことになってしまう。意を決すると気が楽になった。硬くなった前日のコッペパンを口一杯にほうり込んで、ゆっくり飲み落としたあと、夕方までこの町で過ごす決心を固めた。
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