titllelogo-3
top460-3

アメリカ紀行


america09

#9 ラ・グランジの人々



 全くの偶然から、夕方までの半日を美しい緑の町、ラ・グランジで過ごすことになった。北西部の大都市しか知らない私は、この町を隅々まで歩いてみたいという好奇心で満たされていた。

 何の予備知識もない町であるから、まず図書館を捜し出して、資料を手に入れなければならない。どこであってもそこがアメリカであれば、図書館は容易にみつかるし、町の表側を知るには、それを利用するのが最も簡単な方法である。館長は、上品な中年の婦人で、日本からの客に親切であった。アメリカ人の親切は、ときに押しつけがましく思われるということだが、私の場合そんな気にさせられたことは一度もなく、むしろ、親切がひとつのマナー、あるいはスタイルにまでなっていることに対して、舌を巻く場合がほとんどである。

 館長と町の話をしながら、南部に来てから抱いていた疑問がひとつ解けた。それは、会話の調子に関することで、南部の人たちは一般にゆっくりと話す。「南部なまり」とでもいうものが確かにあるのだろうけれども、話が少しでも抽象的な問題になると、まるで使い物にならない私の英会話技術にとって、それはすこぶるありがたいことであったであった。

 話が「ベトナム」
(Vietuamization)に及んできたとき、暇をもて余している感じの婦人たちが、まわりに集まって来て、めったにお目にかかれない日本人の意見を求めてきた。しかし、相手はインテリのご婦人たちで、いわば暇つぶしに教育論をぶちまくる日本のPTAママと同じようなものだろうから、初めから話に応ずるつもりはない。適当に相づちをうちながら、結論が予想された方向にむかうのを確かめ、かつ会話の調子が遅いのを確認したところで、町案内のパンフレットのお礼もそこそこに、外に飛び出した。共産主義の脅威と民主主義の擁護、アメリカの果たすべき役割りに集約されていく内容の話し合いに、うんざりしながら付き合う必要もないし、なによりも私は茶飲み話が嫌いである。気品にあふれた声で、「日本人としてどう思いますか」などと言われると、とたんに吐き気がしてくるのではないか。

 町を歩いていると、人々の視線が集中する。こんな南部の小都市に下りたつ日本人旅行者は、ほとんどいないだろう。もっとも、一目で日本人とわかる人は少ないはずで、スパニッシュ(中南米の人をこう呼ぶ)であるか、中国人であるか定かではあるまい。私は、アメリカでは多くメキシカンに間違えられた。いずれにせよ、この町では見かけない類の人種であろう。車の窓から身を乗り出して振り返っていく失敬な奴もいれば、すれ違いざまに「ハロー」と声をかけていく陽気な者もいる。こういう経験は、北西部の大都市では全然なかったことで、ワシントンやロスでは、着いた早々に道を聞かれたり、田舎からきた観光客とおぼしき人々に案内を頼まれたりしたのであって、要するに、外国人であるかアメリカ人であるか見分けがつかないのだ。アラビアから赴任して二日目の大使館員に道を尋ねて、お互い大笑いしたこともあった。

 移民によって作られた、複雑な人種構成のこの国でも、南部の小都市まで来るとやはり異質であることがわかる。私の好奇心の対象である人々は、逆に私に好奇の目を光らせる。ここは深南部(
Deep South)である。その目の中には、もちろん敵意を含んだものもあるだろう。そのことは、ワシントンで友人になったブラック・パンサーの党員から、十分注意するように言われている。とくに、黒人スラムをうろついていることを町の人々に知られたら、面倒なことになるかもしれぬ。黒人にしても、イエロー・ヤンキーである日本人に好意を示すとは限らないのであって、そのことは多くのゲットーですでに経験済みだ。

 こうなると旅は面白い。「起こるかも知れぬ何ものかへの予感」が、緊張感となってからだの中を走るときこそ、旅人に与えられた最も幸福な瞬間である。

 まもなく歩き疲れて、とあるコーヒー店でメモをとっているところに、一人の青年が駆け込んで来た。花屋で働いている彼は、この町に住む唯一の日本人であるが、私のうわさを聞きつけて、わざわざ捜しに来たのだという。東京でアメリカの娘と結婚し、奥さんの故郷で生活している彼は、奥さんの父親から譲られた大きな牧場を持っていて、ぜひ一晩泊まっていけとすすめてくれた。彼も嬉しかっただろうが、私にとっても天の助けであった。

 初秋の牧場を馬で駆けながら、私たちは日本のことを語り合った。奥さんも東京の大学に四年間留学していたわけだから、自分の古里のようになつかしがった。旅にあると、ちょっとしたきっかけで、深い友情が結ばれることがある。林の中のビーバー・ダムへ、細い道をたどりながら馬にゆられて行く間に、私たちは、もう長い間の友人でもあるかのように感じていた。

 南部のこと、黒人問題について、日本のことなど、深夜まで話は尽きなかった。全くの偶然は、今夜は南部の牧場に私を置いてくれた。


inserted by FC2 system