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アメリカ紀行


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#2 退屈な島—ハワイ



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 機上の夜明けは突然にやってくる。白い一条の線がやがて紫の帯に変わり、みるみる紅色に染まってくるとさっと視界が広がって、朝の光りを一点に凝集した翼がキラリと輝いた。目を射るような光線が痛い。東京を夜の十時にたって四時間しか経過していないのだが、飛行機は夜明けに向かって突き進んできたわけだ。

 ハワイ空港到着のころにはもうお昼近くなっていて、時計をハワイ時間に合わせるため、十九時間だけ遅らせなければならなかった。日付けが前日と同じで、なんとなく「もうかったな」という気にさせられる。しかし、便利なはずの日付け入り時計は僕をさんざんな目に合わせ三十日ぶんも針を進めるために、ひとさし指は皮が一枚むけてしまったのである。

 心地よい春の光りはハワイを実感させ、日ざしは澄んだ空気を通して強く感じられるのだが、のんびり日にあたっている暇はない。知人に紹介された人物をたずねあてなければ、泊まる場所がないのだ。バスでは荷が重すぎるので、タクシーに声をかけた。市内まで
5ドルの料金をなんとか値切らねばならぬ。まだ始まったばかりの旅先で、タクシーに五ドルも使っていたら、二、三日は断食でもしなければならないだろう。

 もともと物を値切る質では決してないのだが、このごろ妙な自信を持っているのでうまくいくと思っていた。十分ぐらいのねばりが功を奏して、くだんの運転手氏「OK2ドル」と陽気に笑いこの珍妙なる旅行者に同意した。

 旅先での初印象はその土地のイメージの総体をほとんど決定する僕は、とたんにハワイがすばらしい土地に思われ、そこの住人が人のいいのんびりした人々であろうと考えた。タクシーはメーターを立てたままで走り、運転手氏はどうやら2ドルをそっくりポケットにしまい込むことに決めたらしい。これでお互いに損無しということだ。

 たずねあてた人は、ひどく疲れているように見えた。事実、所得申告の締め切りが迫っていて、仕事の関係で二、三日不眠の状態に近いということだった。そんなときに他人が泊り込んだりしたら完全にまいってしまうに違いない。やむなく寝ぐらを求めて、町にでかけることにした。「東西文化センター」まで行けば、だれか日本人がいるだろうし、なんとか寝る場所ぐらい紹介してもらえるだろうと考えながら歩いていた。体に吸い込まれていくような日ざしと、異国をまるで感じさせない町のふん囲気は僕を楽観的にさせ、くつを両手に持って熱いセメントの感触を楽しみながら、はだしで歩道を歩いて行った。はだしになるのはもう何年ぶりだろうか。

 しかし夕方になると、さすがに疲労と空腹を覚えてきた。飛行機の中で全く睡眠をとっていなかったのである。そんなとき、中学時代の友人にバッタリ出会った。偶然の神と友人の好意に感謝しながら、彼の部屋にころがり込んだ。

 一日、島をまわった。行くべき所を見てしまうと、あとは退屈であった。ハワイは、要するに何の変哲もない島である。ホノルル市のあるオアフ島に関する限りこれは真実である。ところが、こんな島が世界の観光地になったところにハワイの不思議さがあるのだろう。

 ハワイが観光地として与えられていた条件は、おそらく気候のみであると思われる。その気候に巨大な資本が目をつけ、ばく大な資金が投入された。たとえば、ワイキキ・ビーチの砂浜はトラックと船でよそから運ばれ、海辺にはヤシの木が植えられ、豪華なホテルが次々と建築されさらに宣伝のため多額の金が注がれた。これらに要した金額は、たぶん想像を絶するだろう。そして土地の人達の努力も大変なものだ。観光ハワイのイメージ作りには、一般の市民も大いに貢献したに違いない。町を歩いていても、紙くずがまるで見当たらないし、くわえタバコの吸い殻をポイと捨てるには僕のように「町の美化」には無神経な者でも、いささか気がひけるのである。

 このように、資本と市民の努力によって、観光ハワイは世界のリゾート地になったのである。観光地は、人工的な要素が加わらなければならないということを示す的確な見本であろう。

 三日も滞在すると、もうやることもなくなったので、ワイキキの浜に泳ぎに行くことにした。ビキニのお嬢さん達でも見ていれば退屈もまぎれるかもしれないと思ったのだが、シーズンには早すぎて、来ているのは寒い地方の爺さん、婆さんがほとんどであった。サーフィンも素人がやると珊瑚礁に頭をぶつけて死ぬ場合があるからやめろと友人に忠告されていたし、泳ぎ疲れると、もう絶望的な退屈に襲われ、ふてくされて浜辺に寝転がり、まぶしい光りをいらだたしく思いながら明日には絶対にこの島を出ようと堅く決心した。

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