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知念中学校グラウンド整地問題

琉球新報 1973年(昭和48年)4月4日(水)夕刊


知念中グラウンド
整地はまかせろ
青年グループが手弁当

 学校のグラウンド整地を自衛隊にまかすなんてとんでもない。
自力更生、われわれの汗と努力でグラウンドを造ろう。
 予算がないことを理由に知念村(伊集盛郎村長)はさきに知念中学校(重野清校長)のグラウンド整地作業を自衛隊にさせる方針を打ち出したが、那覇市内に住む若者グループや知念中の先生、革新共闘会議知念支部などが中心になって二日午前九時から知念中裏の畑地にブルドーザー二台を入れ、自力更生のグラウンド整地作業を開始した。
 整地作業を開始したのは知念中の吉田照正先生(沖教組同校分会長、一日付けで与那原中に転勤)や岸本建夫さん*1((29)、会社員、那覇市繁多川385ノ16)ら約十人。動機は「他人に頼んでしかグラウンドが作れないというのは情けない。戦後の沖縄の学校は生徒や先生、父兄が力を寄せ合ってできた。自衛隊反対を唱えてもグラウンドはできない。自分たちが汗を流してグラウンドを作ろう。それこそが本当の教育になるのではないか」というもの。
 グループを構成しているのは会社員、設計士、重機従業員、スナック経営者ありで、思想的には右から左までいる若者ばかり。みんなでやろう、と決めた店の名をとって「うりずんグループ」。作業は朝九時すぎから夕方六時まで、みな手弁当、全くの勤労奉仕作業だ。
 約五千坪の敷き地にグラウンド(二百メートルトラックのほか、テニスコート、バスケットボールコートなど諸コート)を作るための整地作業に知念村は燃料費として二十万円負担するだけ。「自衛隊ならタダで全部やってくれるのにわざわざみなさんがやろうというのだから足りない分はみなさんでやってもらいたい。途中でできなくなれば、自衛隊に頼む」(伊集村長)と村は冷たい。
 このため、測量、設計などはグループの一人で一級設計士の宇栄原謙さんが無料で引き受け、ブルなどは重機に関係している仲間が格安で提供、知識のある者は知識、機材のある者は機材、力のある者は労力をと、文字通り
自力更生の整地作業。
 沖教組では二日から始まった整地作業に対し「できるだけの協力をするよう直ちに支部に指示する」(福地書記長)といっており、県労協でも組織として支援するかどうか「さっそく検討する」(亀甲議長)といっている。民主団体や一般の市民の間でも自衛隊に頼らない自主的な整地作業に支援の動きが出ている。

*1 原文まま



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