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6170 日本建築学会大会梗概集(東北)昭和4810月より

計画への基本的視点について


(沖縄県名護市総合計画・基本構想ーその1)



正会員・大竹康市(象設計集団)  同・地井昭夫(広工大講師)  
    岸本建男(名護市役所企画室)
  同・小路紀光(都市環境計画研究所)  同・井上 隆(早大大学院)


1・はじめに

 本稿および以下の3編は、私達が沖縄県名護市総合計画審議会より依頼を受けて、同審議会と協同で作成した同総合計画・基本構想に基づいて新たな角度からいくつかのテーマについての研究報告と問題提起を行なうものである。本稿では沖縄開発、海洋博計画批判、沖縄の自立候補についての考察と、建築学会による沖縄開発調査団の派遣についての提案を行ないたい。

2・沖縄開発計画、海洋博計画批判

 現在、沖縄の開発やその未来をめぐる”上から”の論議や計画は、常に”自立経済”というそれ自身では何らの実体をも示さない言葉によって、住民の生活要求や歴史批判をたくみにそらし、沖縄の未来をあれか、これかといった安易な選択主義の中に閉じ込めようとする危険性を持っている。”農業はダメだから工業で、工業がダメなら観光で・・・”という演出された発想がその典型であり、金武湾CTS基地や海洋博計画などは、この発想の具体的実体であるといえるだろう。

 しかしこうした”上から”の開発にもかかわらず、復帰前から沖縄がかかえなければならなかった諸矛盾は昭和47年5月の本土復帰後も解消するどころか、より深刻なものになりつつある。すでに復帰前、琉球政府によって大規模な工業導入によって飛躍的な所得水準の向上が期待できるという「長期経済開発計画」(以下「長計」)が策定されていた。復帰後この長計に対する県民のするどい批判に対して若干の手直を加え、”沖縄を東洋のハワイへ”的な発想の中で、観光産業へ傾斜した「沖縄振興開発計画」(以下「沖振」)が国と県によって策定された。しかしこの「長計」や「沖振」を貫く根本発想は、復帰に伴う社会的変動を沖縄の工業基地化、観光基地化によって経済的に切り抜けようとする第一次産業や地場産業を軽視した開発思想*註1であるといえるだろう。そしてその内容は、後編で述べるように”所得格差論”によって”学問的”に正当化され、一方的に未来の経済的可能性にのみ立脚し、現実の社会的必要性*註2を極めて不当に評価したものとなっているのである。

 すでに環境庁の審議会ですら年率8.4%の成長を続けるならば、昭和60年には環境汚染量が確実に3倍以上になると警告している。たとえば「長計」に示された成長率は年14%という高率であり、工業に至っては22%である。こうした極端な工業開発政策が、土地面積の少ない人口密度日本一という沖縄において、住民の生活環境や社会生活、農林漁業を破壊しないという確実な保証は、論理的にも政策的にも何ら示されていないのである。その上すでに海洋博会場となった本部町はじめ今帰仁村、名護市一帯では本土企業などによる”海洋博”をあてこんだ”嵐のような”土地買い占めが進み、農漁業どころか、住民の住環境すら重大な危機にひんしているのである。海だけをとり上げてみてもすでに各種の土木工事などによる赤土の流入やオニヒトデなどによって一帯のサンゴはほとんど死滅しウニ、イワノリ、ヒトエグサ、カキなどの採貝草漁業や沖縄の伝統的な追い込み漁業などの地元?漁業は重大な危機に直面しているのである。沖縄観光開発の戦略といわれる海洋博もこの現実を見る限り、推進者たちの良心的努力とは裏腹に”海ーその望ましい未来”どころか”海を殺す”海洋博になりかねないという明らかな外界状況を伴いつつ進行されているのである。*註3

3・沖縄の自立経済とは何か

今沖縄でなぜ自立経済が語られなければならないのか。それは単に所得を上げることでは全くなく、沖縄に対する本土の差別政策の長い歴史、とりわけ戦後の米国支配に典型的な沖縄を分断することによって自らの”平和”を実現した本土に対するきびしい批判と、そのことによって”失われた時間と空間”を回復しようとする県民の意思として語られなければならないだろう。いわゆる基地経済とは、米軍基地による農地の接収、生活環境や山林海河の破壊によって生産手段のみならず正当な生産発展のための労働力すら失い農林漁業の絶対的低迷に甘んじなければならなかったという現実の中で基地収入と日・米のドル補助、キビ・パインの特恵関税によって支えられた輸入超多過の消費型経済のことであった。沖縄はしかしこうした状況におかれながらも、高度な文化と豊かな生活を守り育ててきた。この歴史的現実的基盤が”島”としての地理的風土的特質によって支えられてきたことはいうまでもない。沖縄の自立経済とは、こうした外からの差別と分断を断ち切り、自らの内在的可能性に基づいた輸出入バランスのとれた生産経済を確立し安定した地域社会生活を自律的に建設していくことあるといえるだろう。沖縄のすべての地域に石油タンクを並べ、すべての市町村で海洋博をやらない限り、工業と観光は沖縄の戦略とはなり得ない。このことに関して行政が無知であるのか、無視しているのかにかかわらず、沖縄の開発戦略とは言葉の正しい意味において、農業林業畜産漁業や地場産業の本質的な育成・振興をおいて他にあり得ないのである。

4・建築学会から調査団の派遣を!

こうした沖縄の現実は、私達にするどくその研究のあり方、その生き方を問うものであろう。私達はいまだこの事に答える十分な言葉と行動を用意していない。しかし少なくとも日々の生活を”研究”とその”代価”によって生きる私達は、その言葉と生活の中でこの現実を受け止める以外にない。この意味においても、ここで会員の一人として、日本建築学会による「沖縄開発、海洋博に関する実態調査団」の派遣を提案したい。そして正確かつ正当な調査の中で「開発とその是非をめぐる討論会、シンポジウム」を学会の責任において開催すべきではないだろうか。このことは、今本土においてもむつ小川原、鹿島、周防灘、志布志など各所でその意味を根底的に問われている”地域開発思想”とその批判を、一人一人がきびしく”自らのもの”とするためにも、個人であれ集団であれ私達に課せられた課題であると考えられるからである。



註1 ”1980年で人口103万人(現95万人)所得水準80%”の目標に対し、未来学者ですら”この目標設定は、はじめから無理なのである”とサジを投げ、同じ経済学者仲間にも批判が多いという、ひどく”現実ばなれ”した計画である。

註2 「沖振」の別表をを見ると、目標年次までの公共資金のうち約40%を道路、港湾、空港、鉄軌道などが占め、福祉医療はたったの3.6%程度、第一次産業も約13%(2200億円程度)にすぎない。私達の憶測では、この数値は、少なくとも30%以上のものに引き上げるべきだと考えられる。

註3 海洋博関連の土地買占め(エンクロージャー)が、農業、畜産振興のうえで重大な障害になることはいうまでもなく、さらに関連雇用によって労働水準が急上昇しキビ、パインの労働力供給の重大な危機を招いている。
また、技術的には、海洋開発技術そのものが、未知数、不完全なものである。リーフと赤土に代表される沖縄の亜熱帯性の地質、地理の特質に対し建設工事上何ら有効な対策計画が立てられていない。名護湾では、海中展望塔をつくる時ダイナマイトを仕かけ、あたりのサンゴが全滅した例がある。

        




沖縄・基地と買い占められた土地

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沖縄タイムス(S48.12.28)より、沖縄総合事務局調査
 ・売買と賃貸借は総計で約8,000万㎡、全県の約4.3%
 ・対象地は、海岸線、山地景勝地に多く、ほとんど投機買い。
 ・その中で農地は約30%(2,400万㎡)と推測される。
基地面積は全体で286k㎡で、全県の約12%、本島の23%を占めている。買い占め面積と合計すると、全県の約17%、本島では約28%に達する。
また基地は、コザ市、北谷存、読谷村、嘉手納村などではそれぞれ約60%、70%、80%、85%の面積を占めている。

本部半島周辺の買い占められた土地

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昭和47年11月、48年5月本部町・今帰仁村・名護市各担当課にて調査
 本部町 244万㎡(ha) 約74万坪 4.6%(48年2月現在)
 今帰仁村 367万㎡(ha) 約111万坪 9.2%(同上)
 名護市 748万㎡(ha) 約230万坪 3.5%(同上)
 合計 1,360万㎡(ha) 415万坪 4.5%(同上)
実際にはこの数値の1.5倍とも3倍ともいわれている。

日本建築学会大会学術講演概説集(東北)昭和48年10月
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