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アメリカからペルーへ


#12 バリヤーダの人々5/リマ



 汽車に乗って、ワンカイヨという町へ行った。バリヤーダを更によく知ることと、その汽車が世界一の高所を通るため、ぜひとも乗らねばならぬという旅人の単純な好奇心を満たすことと、二つの目的があった。なにしろ、4000メートルのアンデス山脈を汽車で越すと聞いただけでも、山好きの者には、黙ってはいられないことで、やれ高山病だとか、心臓は大丈夫かといった周囲の忠告を聞く耳も持たず、飛び出して行った。

 鉄道は、百年も前に、英国の技術と中国から輸入された奴隷的労働者の手によって、金銀採掘のために、恐ろしい難所に作られたものである。険しい岩山に長短無数のトンネルを掘り、ときには絶壁をはうように敷設された線路を、そろりそろりと登っていくと、金銀に示したヨーロッパ人の異常な執着とか、そのために、犠牲になった多くの人たちのことなどが、自然に浮かんでくる。4000メートルの高所が、私の体に与える影響については、さして気にしていなかった。3000メートル以上の山は、日本でも幾度か経験しているし、昼ごろになって猛烈な空腹に襲われたときには、高山病恐るるに足らずと確信した。空腹を覚えたら体の調子は悪くない。早速給仕に注文してガツガツ食べだしたとたんに、前に腰かけているたおやかな女性がハンカチを口に当て嘔吐で肩を振わせながら、真っ青になっていった。ところをわきまえぬ食欲の犠牲になったかと責任を感じ、あわてて車掌室にかけこんで、「高山病だ」と叫んだけれども、もちろん日本語が通じるはずもない車掌はしばらくいぶかっていたが、事態を察すると、棚の上から酸素吸入器を取り出してゆっくり歩いていった。尻をけってやりたいような落ち着きぶりが気に食わなかったけれども、くだんの女性に血の気がさしてくるのを見届けると、席を移して再び飯を片づけようとしたら、給仕が台所へ運んでいくところである。あわてて奪い取って、やっと胃袋を満足させた。金のない旅行者は、なりふりかまっていられない。

 リマから八時間後に、ワンカイヨに着いた。ワンカイヨは海抜3200メートル、ペルーのシエラ(山岳地帯)の真ん中にある人口10万程度の都市であるが、おそらく、ペルーでは、五本の指に入る大きな町だ。真夏の12月はシエラの雨期で、しとしと降る高山の雨にあたると、体のしんまで寒さがしみてくる。

 町を歩いている人々の多くは、昔ながらのインディオである。昔ながらのという言い方は、あるいは正確ではないだろう。その生活も、彼らの尺度で計れば激しい変化を続けているのかもしれないのであって、歴史の急激な変化を当然のように受け入れてきた日本人の目で見ると、彼らの生活が、異様に静止した時間の中で営まれているように見えるのは、感違いでしかないのかもしれない。時間のゆるやかな進行、つまり歴史の静止と考えるのは危険である。たとえ速度は遅くても、それが動いている間には歴史はその裏側に膨大なエネルギーを蓄えているかもしれないし、いつかそれが爆発する可能性を秘めていることもあるだろう。

 バリヤーダに大量の移住者を送っているシエラへ農村を見るつもりで、近郊の小さな村に出かけていった。冷雨にぬれるのは気が重かったが、緊張しているときには絶対に病気をしないという旅行体験があるので、カゼの心配はなかったし、ここまで来て行かないこともあるまいと思いながら、バスに乗った。

 農村はさすがにひどい。牛を使ってよく耕作された一部の農地を除くと、石だらけの小さな畑に昔ながらの木のくわで立ち向かう農婦の姿があり、泥と草とを混合したアドベで家を造り、暗い部屋に雑居する生活がある。大家族共同体の生活は、単に自らの食料を生産するだけであるか、あるいは、ほとんど商品価値の無い安い余剰作物を作るだけで、都市のような消費生活は望むべくもない。重労働と食糧事情の悪さは、コカの使用をうながす。植民地時代には、労働賃金の代わりに与えられたというこの植物は、1種の麻薬であり、その葉をかんでいると食欲や疲労を忘れることが出来るということだが、シロ・アレグリアがコカについて書いたすばらしい散文詩を思い出しながら試みにかんでみたら、30分で口の中がしびれてしまった。仕事の合い間に、道端に座りこんでコカをかんでいる農民の表情と、降りしきる雨にどんよりにごった空の色とは、旅人の心を暗くした。シエラの農民たちが、農地改革の進まない山村の生活と、急激にふえる人口と、さらにかすかに伝わってくる都市生活の期待から、農地を捨てて都市へ移動していくとき、バリヤーダは一層混乱の度を深めていくに違いない。リマのバリヤーダは、すでに失業者であふれているし、住民は新しい移住者がやってくるのを望んではいない。

 しかし、それでも彼らは山を降りていくだろう。農村生活には、過去の苦しい記憶しかないはずであり、都市の生活に新しい期待をつなぐ以外には、どんな方法も思いつかないのだろうから。
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