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アメリカからペルーへ


#6 街の人びと(リマの印象1)



 かつて、「諸王の都」と呼ばれ、長くスペインによる南米支配の牙城であったリマは、教会や寺院がすばらしく、植民地時代の面影を残した色々な建築物も旅人を楽しませる。あるいはまた、街角に、ふと異国を感じさせる雰囲気が漂っているのもうれしい。メイン・ストリートの商店街を、両側に並んだバルコニーの精巧さに目を見張りながら歩くのもいいし、スペイン風の建築様式を取り入れた、素敵な住宅街を歩くのも面白い。

 しかし、どこでもありそうなのだが、私は旅先で出会う人間たちに最も興味を引かれる。どんな自然の景観も壮麗な建築物も、結局「ああ、こんなものか」という気にさせる。ニューヨークだけを例外として、旅にある私を刺激し何かを考えさせるものがあったとすれば、それはいつも人間、あるいは人間の集団であった。

 たとえば、グランド・キャニオンを前にして、自然の偉大さを今更ながら認識し、人間の卑劣さを思ってわれ知らずぬかずく、などとは馬鹿らしくてとても私の得意とするところではない。我々のイメージは、実際の自然よりもはるかに飛翔している場合が多いから、観光地として知られてしまった自然の景観には、失望が先に立って、感動するのに努力を要するという陳腐な結果に終わることもあるのだ。決して散文的に過ぎる感受性の持ち主だとは思わないけども、「自然の神秘」だとか「建築の妙」などというものに感じ入るためには、「意外性」とでも言うか、とにかく不意打ちに会わなければ駄目なのである。

 リマでも、街を行く人々を見て入るときが、最も退屈しない。

 歩道の人ごみの中に、白人とインディオ(ペルー土着の人)の混血が多いのに驚かされる。それは予想をずっと上まっていて、リマではむしろインディオよりも多いのではないかと思われる。ペルーの人種構成を見ると、

インディオ49%
メスティーソ(白人との混血)37%
白人 13%
その他 1% (67年調)

 となっていて、混血がかなりの数であることを示している。このことは、中南米を支配したスペイン人が、ヨーロッパ民族の中では特殊な存在であることを物語っているのだろうが、ドンキ・ホーテや闘牛以外の知識に乏しい私には、理由はよくわからない。しかし、口の悪いフランス人には、「ピレネーのむこうはアフリカだ』という人も入るし、またスペインが、長期にわたってイスラム教徒に占領されていたという事実も何かそこに異質なものがあるのではないかと思わせる。

 いずれにせよ、ペルーや他の中南米諸国の人種問題が、合衆国のそれとはニュアンスを異にしたものであろうと想像される。

 インディオやメスティーソに混じって、リマでは東洋系の顔もかなり見られるが、背格好がよく似ているので判別がむつかしい。インディオもメスティーソも、私と同じかあるいは低いのが大多数で、さらに顔つきまで似ている。色の黒い私は、他の人たちからは、インディオに間違えられているだろう。

 日本のように単一種で構成されている国では、人種の判別というわずらわしい問題が無いから、そのようなことは不得手だし、またどうでもいいことだと私は考えているが、二世の友人たちが、上手に識別しているのを見ると、人種とか民族とかいうことに対して、微妙な感覚が微妙な社会状況を反映して作られているのではないかと思わされる。たとえ合衆国の場合とは異なった様相を呈してはいても、人種問題そのものが消えているわけではあるまい。

 中心街をちょっとそれると、もう立ち売りの人たちが歩道にあふれている。メキシコもそうだが、これほど多くの立ち売りが道端に並ぶはずはないだろう。歩道に風呂敷を広げ、人形、おもちゃ、ありとあらゆる商品を持って来て、商いをしている。我々の感覚ではおかしいが、洋服屋の店先で洋服の立ち売りをする間の抜けた光景すらある。

 植民地経済が数百年も続いた結果、第二次産業の発展が完全に押さえられて、ものすごい「ひずみ」を持った経済構造が生まれ、その中での生活を余儀なくされている中南米の多くの人々にとって原始的な農耕生活を放棄したときに残される方法は、都市ルンプロ化していくだけしか無いのであろう。たくましい人々は街頭で物売りをするだろうし、あるいは低賃金労働者として生き続けていくことが可能であるが、それが不可能な人たちはどうするのであろうか。

 立ち売りも、組織化されるとちょっとした広場を見つけて「市」を立てる。野菜やくだもの、洋服等が主な商品だが、簡単な手押し車に乗せて集まって来る。「市」の中には、山を降りて間もないと思われるインディオたちが、アンデス風の服装で売買しているのが目につく。遠いインカの時代から、時間の経過に少しも影響されてはいないようなその人たちを見ていると、ある感慨が湧いてくる。

 日本は、なぜかくも急激な変化を遂げなければならなかったのか。あるいは変わったのは表面だけなのか。たとえ表面だけだとしても、我々の変化の著しさが不思議なものに思えて仕方がない。

 黒いアンデス帽の下から長く編んだ髪(トレンサ)をたらし、丈夫な布(マンタ)で子供をくるんで背に負い、長いスカート(ファルダ)を引きずるように歩く女の人は、ときには歩きながらも編物の手を休めない。日なが一日箱の上に腰かけて新聞や雑誌を売っている老人たちや野菜の泥を落としている夫人たちは、考えることを止めたかのように無表情である。彼等は、この国の抱えている経済問題の大きさ、あるいは文化的、心理的問題の途方もない困難さを示して入るのであろう。
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