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1971年(昭和46年)6月24日木曜日 沖縄タイムス

アメリカからペルーへ


#1 確立された学歴主義 大学(アメリカの現実)



実力主義は幻想
 今では、ひしゃげてしまった私の大学像に対して、アメリカの大学は強い刺激を与えるものではなかった。数年前であれば、あるいは感動することもあっただろうし、また大学が日本のそれとは全く異なった可能性を持って存在し得るという希望を、多くの人たちがそうしたように、幻想をこめて語ったかもしれない。大学は、それだけ孤立してあるものではなく、社会の体制そのものの構成要因であることを徹底的に明らかにしたのは、大学闘争に関して来た学生たちの大きな貢献であるが、アメリカの大学を見る場合でも、その設備に圧倒されたり、学生たちの風俗の相違に驚いているだけでは、問題の本質に一歩も踏み込めないだろう。アメリカの大学も、いま次第に病みつつあるのである。

学生夫婦寮の現実
 カリフォルニア大学ロス・アンゼルス分校(UCLA)の広大なキャンパスの一角に、十数階建ての学生夫婦寮が二つ並んでいる。そのビルの中には、他の大学と同様に、学生時代に結婚した者に混って、おそらく年配になって入学した人や、卒業後再び大学院にもどってきた人々が相当数住んでいると思われる。一度就職し結婚すると、大学に行くのがむずかしく、特別の意思力と忍耐力が要求される日本に比較すると、うらやましい経済力と設備である。しかし、アメリカ人は勉学好きであるという保証は無いのだから、彼らが夫婦寮で苦しい生活を続けながら大学に通う動機を知らなければならない。その裏には、アメリカの社会と大学との関係を明らかにする糸口があるかもしれない。

リンカーン伝説は遠い過去のもの
 私自身の想像力の貧困を証明するだけだが、アメリカ社会が実力主義を貫いているという誤解があった。ちょっと冷静に考えれば、高度の技術革新を完了した資本主義国で、(社会主義国ではどうであろうか)学歴主義が根を張らないはずはない。20世紀の技術革新は一方では大学に依存したわけで、大量の大学生無しには果たされなかった。このことを裏返しにして言えば、大学卒でなければ適当な仕事にありつけないことを意味する。一枚の卒業証書は高額の給料と同じになり、おびただしい若者たちが大学、大学院に進学する。日本のように、学歴主義に学閥主義の加わったものよりはまだいいだろうけども、アメリカにおいても、すでに確立された社会の中での学歴主義は「丸太小屋からホワイトハウスへ」というリンカーン伝説に示されている「アメリカの夢」が、遠い過去のものであることを教えているのであろう。

大きい学歴による賃金格差
 ワシントン政府に勤務している友人がくれた公務員の給料表は、学歴がこの国でどういう意味を持っているのかを明らかにしている。

学歴 70年度初任給(月間)

高校  412〜535(ドル)

大学  654〜809

修士(マスター) 895〜1,084

博士(PHD)1190〜1576


 一般企業も給料システムは同様であろうが、高校卒が大学卒の初任給と同額になるまでに約三年かかり、以下同じシステムになっている。

 結局、金がなければ幸福感を味わうことのむずかしいアメリカでは、より上級の学歴を得ようとする人々で大学院は膨張し、特に工学系では大学院が大学機能の中心を占める傾向が顕著になっている。正確な数は知らないが、たとえばフィラデルフィア大学理工学部のように、大学院の学生が学部の学生より多い学校は、もうかなりの数になっているだろう。

 夫婦寮で四苦八苦しながら卒業しても、結果的には体制を強化していくだけでしかない彼らの生活を、他人の私が笑うことは出来ない。しかし、彼らをそのようにさせている社会と大学の「ゆがみ」は見過ごせない者である。

”産軍学共同体”の矛盾が露呈
 高度な技術の要請されるメカニカルな社会構造を支えるものとしての大学教育は、アメリカで典型的に発展し、「産学共同体」という体制は、この国で最も強固になって来た。もちろん、大学が「産学共同体」の一翼を荷なっていなかった時代も国家も存在しないし、そのことは、産業革命期と技術革新期に、大学が受けた深刻な変容を考えるだけで明らかである。大学史が産業史と密接な関係にあって、しかもそれがアメリカで典型的であることは、おそらくアメリカで典型的であることは、おそらくアメリカ史そのものに原因がある。

 このような「産学共同体」は、産業が「産軍共同体」の一部であることによって、さらに「産軍学共同体」として大きく掌握することが出来ると考える。アメリカの体制(establishment)を「産軍共同体」という側面から認識する上で、私たちは現在すぐれた分析は、まだなされていないように思う。

 ベトナム戦争を契機にして、「産軍学共同体」の矛盾が露呈しつつあるいま、学生たちは、まだ問題のありかを正確に見極めてはいない。だが、思想的に早熟な発育を見せた日本の学生たちと同様に、いずれ彼らも新鮮な感受性で問題の本質に迫り、新しい実践を獲得していくだろう。その兆はすでに表れているのかも知れない。
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